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小田急線大和駅周辺徘徊-その2

2012年 11月30日 01:20 (金)

        山き
        山く
        山け
        山こ
        山さ
        山し
  大和駅の周辺は確かに商店街が多く、気が付いただけでも「大和中央通り」「大和昭和通り」「YAMATO GINZA」「すずらん通り」と4つもある。規模は中央通りと昭和通りが大きい。特に賑わっている様子はないがそこそこ人出はある。
  一見長閑そうな街ではあるが、惟一の弱点は米国海軍と海上自衛隊が共同で使う厚木基地があること。名前は確かに厚木基地だが、実際は大和市と綾瀬市にまたがっていて、小田急小田原線の厚木とは全く関係ない。この飛行場では通称NLPと呼ばれる戦闘機の夜間離着陸訓練が行われていて、騒音が市民の頭痛の種になっている。問題は騒音だけにとどまらず、戦闘機の墜落事故も数件起きていて日本人が死亡した例もあり、大和市だけでなく横浜市などなど周辺地区の住民の安全をも脅かしている。
  そうかと言って、尖閣問題をはじめ極東の状況がいささかキナ臭くなってきた現状を見ると、大陸に睨みを利かす意味から米軍にとってこの基地は重要な意味を持つわけで、日本側が望む形で基地の返還など到底考えらえず、しばらくはこのままの状況が続きそうだ。
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どこまでも平坦な小田急線大和駅周辺撮り歩き

2012年 11月29日 01:05 (木)

        山あ
        山い
        山う
        山か
  小田急線と相鉄線が交わる大和駅周辺は、駅を降りるとすぐ分かるが、相模野台地と呼ばれるとにかく平らな土地で市内をざっと歩いてみても坂が見当たらない。市内にはこの2線のほか田園都市線も走っていて、全部で8つの駅がある。都心からは40㌔圏内だが、新宿、渋谷、横浜まで1時間以内で行かれる典型的なベットタウン。こうした交通の利便性もあって人口は僅かずつ増えているらしい。
  駅を中心にして東西に緑を植えたプロムナードが延びていて、市民の憩いの場となっている。車を排除した歩行者と自転車の専用道空間で安心して歩けるので助かる。ここでは毎月第3土曜日に骨董市が開催される。15年目を迎え、毎回300近い骨董屋が店を出し、近隣の骨董好きには人気のスポットなっている。以前に1度のぞいたことがあるが、相当な人出で落着いて見ていられなかった記憶がある。 
 商店街の通りが何本もあって、それが駅を中心に放射状に延びている。駅から離れるにしたがいマンションが目に入ってくる。目を遠くに移すと丹沢山塊も望むことができる。  

看板建築、モルタル、踏切と大きな成果

2012年 11月28日 01:01 (水)

          西さ
          西し
        西す
        西せ
  1枚目と4枚目の写真は都電荒川線の踏切。都内の私鉄はほとんどが高架か地下を走るようになり、多くの踏切が姿を消した。それでも地上を走る都電にはまだ相当数の踏切が残っていて、一寸した鉄道風景が楽しめる。2枚目はかなり年季の入った店舗で、ハゲかけた看板をよく見ると「乾海苔問屋」「両角商店」と読める。今では考えられないが、昔はノリやお茶を単品で商う商売が成り立っていた。徘徊の際に時折このように大きな看板を乗せたお店に出っくわすことがある。
  3枚目は大好きなモルタルの元店舗。既に人の気配はないようだ。一時こうしたモルタルの家屋に凝り、狂ったように撮りまくったこともあり、外付けのハードデスクに無数の物件が保管されている。いつか陽の目を見させてやりたいと思うがなかなか発表の機会がない。本ブログで数回に分けて公表しようと考えている。
  

迷った時は必ず報われる-滝野川あたりの徘徊

2012年 11月27日 01:51 (火)

          西か
        西き
        西く
        西け
  東京の道路という道路、路地という路地全てに足跡を残すことを我が徘徊の最終目的として設定している。だからどんなに狭い路地でもこれはと思うと躊躇なく曲がる。恥ずかしいことだが、これを何度も繰り返えすとそのうちどこにいるのか見当がつかなくなる。10年以上の経験から最近は迷うことも少くなったが、油断をすると怪しくなる。今回は初めてのコースということもあって久方ぶりの迷子状態に陥った。
  おかしなもので、こういう時には往々にして貴重な物件に遭遇する。板張りの木造の建物が多かったが、あと5年もすれば消えゆく運命にありそうな家屋が数件あった。モルタルの何とも言えない味が滲みだした商店も見受けられ、取り敢えずは報われた感じだ。             

滝野川あたりで一寸迷った

2012年 11月26日 06:32 (月)

      西あ
        西い
        西う
      西え
      西お
  
 今日の徘徊は旧古川邸がスタート。西が原1丁目のクラシックな白壁沿いに細い道を歩く。車の通りもなく気持ちよく歩ける。静かな住宅街が続く。これといった特徴的な物は何も見当たらない。これまでの経験からきっとどこかで迷うなあと思いつつ歩みを続ける。一つの交差点に行き着く。立派な建物の脇に「東京ゲーテ記念館」と刻まれた石碑がある。どういう記念館か分からないが何か由緒がありそうだ。道路の反対側がゲーテ記念館のポケットパークになっている。
  ここを過ぎて傾斜の緩い坂をどんどん下る。もうどの辺りを歩いているのか皆目分からなくなる。歩き出しに感じた迷子状態だ。久しぶりの感覚でなんだか嬉しい。小学校の前にあったモルタルの素晴らしいラーメン屋を撮る。そろそろ何かが出て来る予感がする。たぶん都電荒川線だと思うが、遠くで電車の音がする。すると木造のとんでもない豪邸が現われた。バックには巨大なマンション。この対比が大変面白い。坂道と言うか少々台地状になっていて、フッと前方を見ると、スカイツリーがきっちり目に入る。ラッキーという感じだ。次いで何となく周囲に目を配る。エッと言いたくなるようなひなびた古民家が秋の陽をいっぱいに浴びて輝いているではないか。庶民がひっそりと住んでいるようなそんな家だ。たまたまそこのご主人が出てきたので、チャンスとばかり伺うと、戦後すぐに建てられた家だという。こんな場合、写真は禁止と言われる例がこれまでにいくたびもあったが、今回は快く撮影を許可してくれた。さあー、もう少し先に足を伸ばそう。

一つ目小町の南新宿駅

2012年 11月25日 06:43 (日)

        南か
        南き
          南く
        南け
        南こ
  「一つ目小町」という絶妙なフレーズを作ったのは誰だったか。要するに鉄道の始発駅の次の駅のこと。東京の私鉄は新宿、渋谷、池袋など大繁華街を発着駅にしている。いわゆるターミナル駅というやつで、いずれの駅も世界で類を見ない巨大な繁華街を形作っている。
  それでは始発駅の次の駅はどうなのか。渋谷を始発駅とする東横線を見てみよう。一つ目の駅は代官山。昔も今もトンネルの中に駅があることに変わりはないが、付近一帯の再開発に成功した結果、若者を引き付けるファッションタウンへと大変身。隣接する恵比寿や中目黒とも結びつきエリアが格段に広がり“一つ目小町”が誕生した。同様に渋谷が発駅の京王井の頭線はどうか。神仙が一つ目の駅で、この駅もトンネルの中。以前は何となくやぼったいイメージが付きまとっていたが、渋谷エリアの拡張に伴ってカフェや小ぶりのレストランが乱立し、渋谷と連結した感じだ。
  新宿発の小田急線は南新宿が一つ目の駅。この駅を目指して参宮橋から攻め上がってきた。一つ目小町というほど始発駅の恩恵は受けていない様子。駅の周辺は二方が高台に囲まれ狭苦しいが、しっかりと地元に根付いた商店が存在していた。住宅街に一歩踏み込むと古い家並みの中にしゃれた新しい住宅もあり、住民のセンスの良さが感じられる。
  ここまで来ると新宿は目と鼻の先。NTTのエンパイヤー似のビルが眼前に迫ってくる。上原から新宿までの各駅大逆走はさほど大きな期待はしていなかったが、歩いてみればそれなりなりの面白さがあり、一定の成果があったと総括してこれをもってひとまず終了しよう。

あてもなくぶらぶらと南新宿を徘徊

2012年 11月24日 18:20 (土)

        南あ
        南い
          南お
          南え
  小田急線の南新宿駅を徘徊したくて代々木公園駅(代々木八幡駅ともいえる)から歩行を開始する。この頃このパターンが多い。小雨がそぼ降っていても、なんのあてもなくぶらぶら行くのは大変楽しい。連れもなく、行き交う人もなく全く自分の気分だけで自由に方向を変えられる単独行の面白さを噛みしめながらもくもくと歩く。
  線路に沿ってきょろきょろしながら対象物を探す。電車がものすごいスピードですれ違う。至近距離の迫力は大変なものだ。中央林間から始まった小田急線の駅めぐりは、代々木上原を経て新宿方向の最終段階を迎えた。これまで同様線路近くの道路はどれも狭く、住宅が密集した部分もあるが、車が少ないので安心して歩ける。家々の間から新都心の高層ビルが顔を出す。南新宿駅にも小さめな商店街があるにはあるが、次が終点新宿とはとても思えない小規模なもの。   

図書館革命-小布施のまちとしょテラソ

2012年 11月23日 01:57 (金)

      小あ
      小う
      小
  信州・小布施町にある町立図書館「まちとしょテラソ」の存在を知ったのは、NHKのラジオ深夜便・心の時代に出演した館長の花井裕一郎氏の話を聞いたからだ。以前はテレビのドキュメンタリー番組の演出をやっていた。取材で小布施を訪れてすっかりこの町が気に入り、東京から移り住むこととなる。小布施は北信(北信州)という長野県の最北部に位置しているが、昔から進取の気風に溢れ、江戸時代に旦那衆が葛飾北斎を招くなど、積極的に外の文化を取り入れてきた。
  花井氏はこうした気風を感じ取り移住を決めたらしい。たまたま建て替える図書館の運営を検討する委員の募集があり、これに応募したのがきっかけで図書館に係わり、館長の公募にも応じた。図書館というと「静かに本を読む場所」が常識だろうが、テラソではなんと館内でコンサートや講演会も開く。あらかじめ開催を広報しておくので利用者からのクレームはほとんどない。また、夜8時までの開館も好評という。利用が難しい古文書の類いは可能な限りデジタル化し、いつでも、誰でも自由に閲覧できるようにした。こうした他にはない改革は、図書館運営を「学びの場」「子育ての場」「交流の場」「情報発信の場」の4つの理念に基づいて行っているからだ。
  ユニークな愛称の「まちとしょテラソ」は、以前の「町の図書館」が「まちとしょ」と呼ばれていたことと、「待ち合わせの場所」の意味を込めている。「テラソ」は「世の中を照らす」「小布施から世界を照らす」ことを狙った。建物の壁はガラスが多く用いられ、昼間は外光が取り入れられ、夜は内部の光が行灯のように辺りをテラスことになる。
  もうひとつ珍しい活動として「まちじゅう図書館」がある。町内の商店をその分野の専門図書館に見立て、リンゴ箱に入れて店に置くのだ。例えば穀平味噌醸造場では醸造関係や地酒の本が並び、開業から10年以上が経過しすっかり小布施に定着したJAZZ喫茶「BUD」ではマスターが長年にわたり収集したマニアックなJAZZ本が読み手を待っている。現在地元の銀行も含め10店が本を置く。渋谷のヒカリエ8階にあるレストランにもリンゴ箱図書館が増殖してきている。
  

紅葉の本場信州は雪

2012年 11月22日 01:39 (木)

        雪あ
                      いつの間にか雪が
        雪い
                      見る間に積もってくる
        雪え
                     雪と紅葉と黄葉と
        雪お
                     例年より早い雪だという
        雪か
                     一晩中降り続くと明日が一寸……
        雪き
                     信濃大町駅 屋根まで紅葉してる?
        雪く
                       大町市内
        雪け
                       PAから見た諏訪湖
  毎年11月中下旬に信州に出かける。雨が心配されたが快晴に恵まれ、関越道に乗ると早くも道路脇の木々の紅葉が目に入る。松井田を過ぎ浅間山が見えてくる。長い裾野が印象的で、上の方は雪がかぶっている。周辺の山々も微妙に濃淡のついた紅葉で、ドライバー君には申し訳ないが、スゴイ、キレイと歓声を上げる。長野で関越を降り、オリンピック道路で白馬方面を目指す。本日の目的地小布施に到着。ここで所用を終え、来た道を逆に長野へ向かう。
  今夜の宿は大町市美麻にある温泉施設だが、対向車が雪を乗せて向かってくる。宿の手前あたりから白いものがチラホラと落ちてきた。この調子で一晩降ると明日は身動きがとれないことも。夜になっても降り続く。外の気温は零下に下がっているらしい。朝になってみると雪はほぼ止んだようで一安心。帰路はまず大町駅を目指す。中央道に入る。ここまで来ると往路同様気持ちのいい快晴で、時間が早いこともあって渋滞らしい渋滞もなく無事帰還と相成った。

秋の風情と紅葉狩り

2012年 11月21日 01:55 (水)

        秋さ
        秋し
        秋す
        秋せ
        秋そ
          秋た
  ふるさと村のすぐ近くに町田市になるが三輪町とう町名がある。三輪とは素麺で有名なあの奈良の三輪のこと。関東で奈良の三輪と言われてもピンと来ないのが普通だ。一説によるとその昔、防人で奈良から多くの人がやって来て住み着いたという。
  そうした目で見ると関東の三輪も奈良の侘しい雰囲気が感じれなくもない。1枚目の写真で森の裏側が三輪町となる。少し離れるが、横浜市緑区にはズバリ奈良町という町名もあり、“町田のチベット”と言われたこのあたりでも意外と奈良と関係があるのかもしれない。
    
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