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名所旧跡でなく平凡な街並みがいい-1冊の写真集と2つの写真展

2012年 10月31日 01:34 (水)

      橋本
      吉江
  
  近くの本屋の写真コーナーで藤田満氏の「在所」なる写真集を手に取った。ズシリと重量感のある1冊で、お値段も超破格の約5千円。頁を繰ると地方のなんでもない普通の民家がどんどん出てくる。初めは何の気なしに見ていたが頁が進むにつれこれは大変な写真集であることに気付いた。1軒1軒がとても丁寧に撮影されていて、作者の根気の良さと、それを支えるしたたかな写真センスが滲み出てくるのが分かる。後に全ての写真が11×14の自作の超広角カメラで撮られたことを知り、改めて驚嘆した次第だ。手元不如意につき入手は先になりそうだが、必ず手に入れる積りだ。
  それから1ヵ月後、今度は新宿のニコンサロンで、同じような雰囲気を持つ写真展に遭遇した。橋本勝彦氏の「もう一つの風景」で、ここでは民家というより、一時の賑わいが去った後の寂しさをたたえた街並みがもの静かにモノクロで撮られてる。1枚ではただの「さびれた街並み写真」で終わってしまうところだろうが、一挙に50点あまりが作品として提示されると迫力満点で「まいった」という感じだ。受付の女性の話では橋本氏は理髪師で、専ら仕事休みの月曜日に撮影する典型的なアマチュアカメラマンとのこと。
  隣りの会場では吉江淳氏の「地方都市」展が開催されていて、こちらはカラーで橋本氏同様どこにでもあるような地方都市の日常風景が淡々と綴られ、見る者を飽きさせない。短期間にこうした「何でもない写真」の持つ素晴らしさを実感できたのはラッキー以外の何物でもない。
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霜降銀座商店街

2012年 10月30日 01:54 (火)

      霜あ
      霜い
      霜う
      霜え
         霜お
         霜か
  東京に限らず全国の商店街の名前には必ずといっていいほど、どういうわけか「銀座」が付く。北区の霜降銀座商店街も御多分にもれずちゃんと「銀座」の文字が入っている。霜降から染井、西ヶ原とさらに2つの商店街が続くがここにも「銀座」が当然の如く鎮座していて、”正統派の商店街”であることを印象付けている。
  霜降商店街は昭和の初めにここを流れていた谷田川を暗渠化した時に空地となった川の上に次々と店舗が並んで商店街化したという。そのためか本郷通りの交差点名が霜降橋になっている。商店街の名前として霜降はかなりユニークだが、命名の由来ははっきりしない。入り口に肉屋があるので、牛肉の霜降にひっかけたと言えそうだが、それにしても霜降とは珍しい。最初の写真にある看板の「しも」と「ふり」の間にある赤いシンボルマークは「しもふり」の「し」を図案化したもので、このイージーさがたまらなく可愛い商店街だ。本郷通りを渡れば今度は駒込銀座商店街が始まる。

人にやさしい山王日枝神社

2012年 10月29日 10:14 (月)

      山あ
      山い
      山う
  

  一時百名山に凝っていた時期があり、四国の最高峰石鎚山に登った帰りに金比羅山に立ち寄った。全国に数多くある金比羅神社の総本山だ。ここで驚いたのは参拝客を運ぶ駕籠屋がいたこと。古典的な運搬か手段が残っていたのはあの長くて厳しい金比羅名物の石段があるためだ。足の弱い年寄りは勿論、若い者も面白がって結構乗っていて、商売にもなるらしい。全国から老若男女が集まる四国でも有数の名所なのだから、エスカレーターぐらいつけたらと思ったものだ。この石段、奥社まで登った実感としては石鎚山よりきつかった。
  ところで、話はいきなり東京に戻るが、赤坂の山王日枝神社には立派なエスカレーターが設置され、多くの人が利用している。しかも計3機が稼動中で、これを乗り継ぎ3台目の小さめのエス化レターを降りて少々歩くと本殿は目の前だ。今風に言えば「人にやさしい」神社ということになる。入り口の桜田通りから大きな鳥居越に見上げると、傾斜はそうでもないが白い石段がかなりな距離続いていて、機会に頼る気持ちが分からないでもない。神社仏閣の参拝は苦労してたどり着いてこそご利益がある-とおっしゃる頑なな原理主義者は階段でどうぞ。
  で、百名山は68座でストップしたまま今日に至る。残る32座ににエレベーター乃至エスカレーターが完備されない限り再開の見通しはない。
  

クジラが人形町に

2012年 10月28日 01:29 (日)

      人あ
  中央区で化石が見つかったなんて話は聞いたことがないのに、よりによって人形町の地上に1頭のクジラがニッヨキリ顔を出していた。たんなるモニュメントかと思いきや、そこにはこんなエピソードが隠されていたのだ。
  人形町なのだから人形に関係があると思うのはあたりまえ。普通なら誰だってその程度のことは考える。問題はその人形とクジラがどう結び付くのかと言うこと。江戸時代に人形町には市村座、中村座という江戸歌舞伎の小屋があり、多くの観客を集めていた。テレビや映画のなかった時代の庶民にとって数少ない娯楽の一つとして人気があった。歌舞伎以外にもう一つ人形浄瑠璃の流れを汲むあやつり人形の小屋もあったという。それが糸あやつり人形の「結城座」と手あやつり人形の「薩摩座」の2軒の小屋で、当然人形を製作する人形師も住んでいたし雛人形や手遊物を販売する店舗も数多く立ち並んでいた。
  実はこのあやつり人形を操る時のバネにクジラのヒゲが使われ、弾力に富んでいるので人形の微妙な首の動き最適だったらしい。そこで、また一つの疑問が生じた。果たしてこのクジラはどこで獲れたのだろうか。
  

人形町界隈

2012年 10月27日 01:32 (土)

      人い
      人う
      人え
      人お
      人か
  日本橋まで来たのだから、天気も上々なのでやっぱり人形町まで歩くことにした。数回来てはいるのだが、間があいたのか天気が抜群だったのかどうも街並みがまぶしく以前とは違った感じだ。よし梅、いわ瀬の料亭街は整備されたようですっきりとより垢抜けて見える。親子丼の玉ひではお昼には少々早い時間であったが、いつもながらの長蛇の列。30分待ちになりそうだったので、前を素通り。裏道をたどって看板建築の健在振りの確認を試みた。
  数件姿を消したものもあったが、ほとんどが健在でホッとした。もっともこうした建物がなくなってしまうと下町を徘徊する楽しみも失せてしまうに違いない。  
    

着物ショーにつられ、ふらふらと日本橋へ

2012年 10月26日 01:34 (金)

        日あ
        日い
        日う
          日え
          日お
          日か
  一時高速道路の下に沈んでしまった感じの日本橋だったが、以前の活気を取り戻そうと年間を通して色々な催しが行われるようになった。その一つが橋上での着物ファッションショー。着物でなくても1度ファッションショーなるものを見てみたいと思っていたので、いそいそと出かけてみた。着物ショーは日本橋・京橋まつりの「大江戸活粋パレード」の一環で行われ、五街道の起点となる日本橋で阿波踊り、仙台すずめ踊りなど全国からの伝統的な舞踏パレードも展開された。
  周辺の地図を見てみると、町名に日本橋と付く町が19もある。多くの町名が東〇〇町とか〇〇町南という具合に味もそっけもなく簡略化される中で、本来の町名の上にお飾りがつくのはここと神田ぐらいなのではなかろうか。それだけ日本橋にこだわりを持っている町民の心意気が感じられる。ざっとあげてみると日本橋蠣殻町以下久松町、芳町、大伝馬町、兜町、馬喰町、堀留町、茅場町と続く。どの町名も江戸の香りがプンプン匂ってきそうな粋な町名であって、これだけでも街歩きが楽しくなる。年配の品のいい夫婦連れが肩を寄せ合って歩く姿が微笑ましい。
  橋以外にも三越や高島屋という日本を代表する百貨店、鰹節、海苔などの老舗大店が並び、飲食店にも事欠かない。その気になれば銀座からの散歩コースとしても最適で、丸善もすぐ近くにあって1日ゆっくり文化と街歩きが堪能できる。日本橋再開発の最終目標は「高速道路の地下化」だそうで、道路原票があったりあれだけ立派な彫刻を施した欄干に陽の目を見せてあげたいと思うのは日本橋町民だけではあるまい。         

移動される旧李王家邸

2012年 10月25日 01:51 (木)

      李あ
      李い
      李う
        李え
        李お
        李か
  以前に赤坂プリンスホテル解体についてふれたが、本体はともかく別館として結婚式などに使われていた旧李王家邸がどうなったか心配だったので、探索に行ってきた。李王家といっても戦後生まれには何のことだかさっぱり分からないので、資料をみてみた。朝鮮最後の王家であった李王家の李ウン殿下が王位を継承し、皇族の梨本宮の長女・方子と結婚後の生活の場として昭和3年に建てられたということらしい。
  経緯はともかくとして他では見ることのできないヨーロッパ調の建物だったので、内部を含めて撮りだめしたことがあった。近くまで行ってみると、ホテルは勿論邸も白いシートで覆われ、中では工事が始まっているようだ。詳しくは書いてないが、李王家邸も解体され、同じ敷地内ではあるが移動することになるとのこと。80年以上前の建築物だけに老朽化は避けられないだろうが、移動を機会に補強を施し再現できれば有難い。    

たまには銀座-その2

2012年 10月24日 01:01 (水)

      銀か
      銀き
         明
         ○
  銀座の街は碁盤の目のようになっていて大変分かりやすい。丁目では京橋から新橋へ向かって1丁目から8丁目までふえていく。中心となる晴海通りと交差する三越のあたりが4丁目で、その昔は尾張町の交差点と呼ばれていた。各丁目はそれぞれ固有の通り名で囲まれて、その中に目標となる有名店舗が目白押しとなっている。
以下にメモ風にまとめてみた。
   京橋・高速道路
      ↓   1丁目 銀座アスター
     柳通り
      ↓   2丁目 伊東屋
   マロニエ通り
      ↓   3丁目 松屋デパート
    松屋通り
      ↓   4丁目 三越デパート、三愛
    晴海通り
      ↓   5丁目 ニューメルサ
    みゆき通り 
      ↓   6丁目 松坂屋
    交詢社通り
      ↓   7丁目 ライオン
    花椿通り
      ↓   8丁目 資生堂
    高速道路
  このあとが銀座9丁目で水の上となるわけだが、築地川はオリンピックの際に埋め立てられて今はなく、今宵を船で過ごしたいのなら、近くの浜離宮から水上バスで吾妻橋までどうぞ。

たまには銀座

2012年 10月23日 13:49 (火)

      銀あ
      銀い
          え銀
        銀お

  定期的に毎月1回銀座を撮ろうと思い、1度は行ってみるのだがなかなか後が続かない。何故そうなるのか考えてみると、結局撮影可能なのが土曜日、日曜日、休日のいずれかで、人出が多く撮影するのもままならないからだと気付いた。特にメインの銀座通りは歩行者天国となり、とてもじゃないがカメラを向ける気にはなれない。果敢にライカのシャッターを切る粋なオジ様やゴッツイデジ一で頑張る若者もいるにはいるが、あの混雑の中でどの程度の絵ができ上がるのかはなはな疑問だ。
  もう1点は撮りたくなるような建物や風景がいつの間にか見えなくなったからかもしれない。表通りは白っちゃけた同じようなビルばかりになってしまった。しかもその多くがブランド店で、風情も何もあったものではない。三越や松屋という老舗デパートがもう少し気の利いたデコレーションで外観を飾ってくれれば見栄えのする街並みができるのではと残念でならない。ファッションやディスプレイでいつの時代も先頭を走ってきた銀座なのだから、ここらで起死回生につながる斬新な試みを期待しようではないか。それまでの間は、仕方ないから銀座の路地裏をメインストリートにして徘徊に勤しむほかあるまい。

消えゆく風景-港区麻布台あたり

2012年 10月22日 09:35 (月)

      か
      麻あ
      き
      麻え
         
 アメリカ大使館とホテルオークラに挟まれた坂道を登り、直進すると右側にスペイン大使館、そのすぐ左に今度はスウェーデン大使館が姿を見せる。このあたりは尾根道の頂点にあたり、ここから左側は一挙に下り坂となって神谷町駅に至る。森ビルによる大規模再開発がすでに終わっていて、一大オフィス街が誕生している。
 神谷町から飯倉交差点の右側一帯が港区麻布台。町名に台が付くのでてっきり高台だと思っていたが、盆地の底のような雰囲気。第二の開発拠点区域になっていて既に立ち退いた住民も多いようで、日中でも人通りが極端に少なく、空き家も目立つ。周囲を見渡すと林立するビルがまるでガラスの壁の如く立ちはだかり、霊友会本部のおかしな形の屋根が見え隠れする。
 古い2軒の木造家屋の隣に黄色いモルタルの家が立ち並ぶ一角があったりして、昭和の雰囲気がいっぱいだ。だがあと2.3年もすればこんな懐かしい景色も消えていく運命にあり、昭和がどんどん遠くなる。
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