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ラジオ深夜便

2012年 09月30日 01:11 (日)

       ラジオ

  夜中にトイレその他で必ず1回は目を覚ますようになって以来、ラジオを手放せなくなった。いったん起きてしまうと寝つきが悪くなるので、ラジオを聴きながら寝ることにしている。それで、ラジオ深夜便の味をおぼえた。目が覚めるのは大体午前3時ごろ。深夜便では歌謡曲の時間帯で歌手別、作曲家別、作詞家別、年代別など様々な特集を組んで主に演歌を流す。これがなかなかいいのだ。忘れていた名曲がどんどん出てくる。最近では平浩二の「バスストップ」、石橋正二の「夜明けの停車場」、山田真二の「哀愁の街に霧が降る」、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」。眠るつもるだったのがいつしか目がばっちり空いてしまい、布団をかぶって一緒に口ずさむこともしばしば。よし、もう1度カラオケに挑戦しようと思い込んだりする。
  こんな調子で1時間が瞬く間に過ぎてしまう。体がすっかり熱くなってきて、もう寝るどころではなくなる。次いで4時台になると「明日への言葉」が待っている。様々な分野の方々が登場するインタビュー番組だが、ゲストによっては相当身につまされる話をされる方もいる。眠気がきれいに消えてしまい、えいやーと飛び起きてしまう。この頃は月に1回コラムニストの天野祐吉による隠居大学も開講していてこれも滅法面白い。
  このほか3か月間隔で2人のベテラン歌手の新曲を「深夜便の歌」として紹介している。時間帯を考慮した渋い歌が多く、記念すべき深夜便の歌第1号となった檸檬(加藤登紀子)、夜のララバイ(藤田まこと)、夜明けのブルース(五木ひろし)など後世に残りそうな名曲も含まれている。
  写真のラジオは3代目に当たり、不満も言わずに夜毎の相棒役を務めてくれる。新橋のディスカウント屋で1,500円ぐらいで買った超破格品だが、NHK一筋に頑張ってくれている。
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愛宕山ミステリー

2012年 09月29日 01:57 (土)

        あたごあ
                        愛宕山トンネル

        あたごい
                        愛宕神社

            あたごう
                    記念写真用の看板

       あたごえ
                         山頂にある池
       
       あたごお
                         石段の下からの眺め

  都内のあちこちにいくつものミステリーが存在するらしいが、港区の愛宕山なんかもその一つにちがいない。港区という都心のフラットな地区に何故指でつまみ上げたようなお山が存在するのだろうか。高さ26㍍で天然の山としては23区内の最高峰(ちなみに人工の築山を含めると47㍍の新宿の箱根山が随一)。山頂には池まであって大きな鯉が悠然と泳いでいる。お昼休みには近くのサラリーマンの格好の散歩道なっていて、ベンチで弁当を食べる人の姿もある。調べたところ地勢的には全く天然の山で、人工的な要素は皆無らしい。
  山頂には池のほかに全国に800もあるといわれる愛宕神社があり、お参りする人もチラホラ。下の道路から一直線で登ってくるのが有名な「出世の石段」で、曲垣平九郎なる武士がここを馬で登ったとのこと。境内の看板には石段の傾斜は40度、段数は86段と記され、下から見上げただけでウンザリしてくる。また、お山の下には1930年に造られた長さ約75㍍の立派なトンネルが通っている。慈恵病院側の入り口にはエレベーターがあるので、足の弱い方でも登頂は十分可能だ。          

床屋コレクション

2012年 09月28日 01:00 (金)

           床屋あ
                目黒の「フジミバーバー」

           床屋い
                人形町の「よしなが」

           床屋う
               横須賀の「中元理容院」

           床屋え
                  善光寺の床屋

       床屋お
                上田の「やなぎさわ」
  
  商店街の徘徊では多くのお店屋さんに出会う。そうした中で珍しい表情を持ったお店の一つに床屋さんがある。床屋さんは理髪店とも言うのだろうが、大昔は髪結床(かみいどこ)と言っていて、銭湯と並んで庶民の社交場の役割を果たしていた。近所の噂話や素人の政治談議などで大いに盛り上がったらしい。今となっては銭湯もめっきり減り、床屋でも客同士の会話はほとんどないのが実状だろう。
  だが、床屋を例にとると今でもユニークなデザインのお店が残っていて、徘徊士を楽しませてくれる。目黒の「フジミバーバー」。こんな顔つきのお店に出会うから徘徊がやめられない。それほど髪が伸びてなくても、思わずドアを押したくなる。人形町の「よしなが」はハサミを前面に押し出した見事なアイデア。それもそのはず、道路を挟んだ真向いには”粋”を地でいく「うぶけや」という刃物の老舗があるのだ。横須賀の「中元理容院」はモダンレトロ感覚の建物で、何と言っても「理容院」の院の字が光る。
  善光寺の参道にあった床屋さんは2階の向かって右側がカーブした典型的な看板建築で、この参道には商店や旅館など見るべき建物が数多く残っている。上田の「やなぎさわ」は長野徘徊の時にそば屋を探していてに巡り合った床屋さん。小ぶりな店だが、どこか懐かしさを感じさせる。
  徘徊も10年を超すと、日本ソバ屋とか病院とか気付かないうちに一つのテーマで括れる興味深い物件が蓄積されてくる。内容を整理しながら順次アップしていく積もりだ。  
      

パワースポットの東京大神宮

2012年 09月27日 01:00 (木)

               大神宮あ
               大神宮への入り口-この約300㍍先右手に境内がある

       大神宮い
                     東京大神宮境内

       大神宮う
                 東京ルーテルセンター教会(千代田区富士見町) 
       
  パワースポットという言葉がいつごろから流行りだしたか定かでないが、いまや若い女性の間でパワースポット巡りがブームになっている。そのほとんどが日本国中の神社だという。例えば飯田橋駅に近い東京大神宮だ。昼休み時になると渋谷辺りにいそうな女性群がぞくぞくとやって来る。1人であったり、2.3人連れであったり、ともかく相当な数になるらしい。
  いったいどんなご利益を期待してここにやって来るのだろうか。この神社は一名”東のお伊勢さん”とよばれ、伊勢神宮に行かなくてもここをお参りすれば同等のご利益が得られるらしい。また、今はごく普通に行われている神前結婚の第一号がこの神社で行われたと境内の看板に記されていて、恐らく縁結びを期待して可愛い子達が押しかけて来るのだろう。彼氏いない歴5年の女の子が参拝の翌日に晴れてボーイフレンドをゲットしたなどという噂が実しやかに飛び交ってるらしい。
  以上は極めて日本的な現象と言えないこともないが、神社を一歩出てふと見回すと、そこには東京ルーテルセンター教会の立派なカテドラルが屹立している。近くには外国人学校もあるらしく、下校時間が来るとこれまた多くの外国人お母さんが子供の手を引いて家路を急ぐ姿が見受けられる。いかにもインターナショナルな東京の一面を垣間見る感じだ。
  
 
  
             

ライト風のアパート

2012年 09月26日 09:19 (水)

        アパート
                  ライト風アパート
       電通い
                  林愛作邸-玄関で狛犬がお出迎え
                   
       電通う
                  林愛作邸-木造洋風の建物
       電通お
                  林愛作邸-守衛室も立派なデザイン
       明日館
                  自由学園明日館
       田上
                 函館の旧佐田邸(田上義也作)       
       
横浜市に住むようになって33年目になり、生まれ育った目黒での32年間を上回ることとなった。お袋が目黒で健在なので、月1回ぐらい帰るようにしている。目黒での少年時代は全く気付かなかったが、最近実家の近くにある写真のアパートがどうもライト風に見えてきて仕方ない。いつ頃の建築か分からないが、相当年季の入ったアパートであることは確か。ライトとはフランク・ロイド・ライトのことで、ご存知のようにアメリカの建築家。日本では帝国ホテルを建てた建築家として知られる。このホテルは建て替えの際愛知県犬山市の明治村に移築され、明治村では一番人気の建造物として一般公開されている。
  アパートをよく見ると、水平線を生かした全体構成と入り口にある左右の柱の部分がいかにもライト・テイスト紛々で、好ましい感じだ。勿論本人の手によるものではなく、当時建築を担当した大工がライトを遊びでまねて建てたのではと推測する。
  ここからは本物のライトとその弟子の話しに移る。ライト風アパートから20分も歩けば新玉川線の駒沢大学駅に出る。この駅から細い1本道を奥深く進んでいくと、住宅街のど真ん中にある「電通八聖苑」に到達する。門を入った左手奥が電通の独身寮になっているが、入り口の正面がこれぞ正しくライトが設計した林愛作邸(林氏は帝国ホテルの支配人時代にライトと知り合う)。大谷石でつくった左右一対の狛犬が出迎える玄関が素晴らしい。国内に残された数少ないライト作の民間の家屋だ。もう1軒ライト作の建築をとなると池袋にある自由学園の明日(みょうにち)館ということになる。
  続いてライトの弟子あたる田上義也の作品を紹介しよう。いつだったか函館徘徊のおり、大正湯という洋風木造の銭湯を探していた時のこと。海岸通りから函館のあの急傾斜の坂道を登り切り、ある四つ角を曲がると突然辺りの建物とは雰囲気が全く異なる西洋館が出現した。函館にライト風の民家があると聞いていたので、直感的にこれは田上作の「旧佐田邸」に間違いないと確信した。このあたりが徘徊の醍醐味といえる。厳しかった連日の猛暑もようやく一段落する気配なので、暑さに感けてご無沙汰していた徘徊を再開しよう。
  

浅沼稲次郎と日比谷公会堂

2012年 09月25日 01:00 (火)

              浅沼
          日比谷い

  今夏三宅島を訪れる機会があった。伊豆七島の八丈島寄りにあるこの島は2000年9月に活火山の雄山が爆発し、島民全員が島外に避難、故郷を離れた不自由な生活を強いられていたが、火山活動が収まりつつあるとして2005年2月に帰島が許可され、現在では離島した島民のほとんどが帰島したという。何でも三宅島はこの70年の間に20年毎に1回ずつ延べ3回の火山爆発に見舞われたとのこと。
  島を案内された時も、溶岩で埋まった中学校とか神社とか水素爆発で水が吹き飛んだ池など、火山活動による傷跡が散見され、被害のひどさを物語っていた。そうした中で、それとは異なる情景に遭遇した。この島の出身である浅沼稲次郎の実家が残されていて、木造平屋建ての実家の裏手に”沼さん”の銅像が建てられていたのだ。右手を高く挙げ「いよっー」とでも言っているような人なつこい表情をしている。
  1960年というからもう半世紀以上も前の出来事だが、当時沼さんは社会党の委員長で日比谷公会堂での演説中に山口二矢という右翼の青年の凶刃に倒れた。沢木孝太郎はこの惨劇を「テロルの決算」としてノンフィクション化し、今でもこの分野の金字塔となっている。戦後の日本の政治家で暗殺されたのは沼さんをおいて他になく、野党社会党は言うに及ばず日本全体が大きな痛手を蒙ることとなった。
  翻って政治の現状を見ると社会党という党名は遥か昔に消えてなくなり、自民党も民主党に政権を奪われた後凋落の一途をたどり、政権を取った民主党に至っては分裂の危機に陥っている。こうした国内政治の混迷を見透かすように周辺の露中韓3国が領土問題で攻勢をかけてきた。だが日本の対抗策は無に等しく、ただただ手をこまねいているだけというのが実情だ。天国の沼さんはこの体たらくをどういう気持ちで見ているのだろうか。
  

テミス像

2012年 09月24日 01:00 (月)

         テミス像
  この像に見覚えはないだろうか。1960年代に日本中を熱狂させたあるテレビ番組があった。米国産の「逃亡者」がそれ。若い人はご存じないだろうが、60歳以上であれば毎週テレビに釘付けになった方もいるはずだ。リチャード・キンブルなる医者が妻殺しの罪を着せられ、逃亡しながら真犯人を追い続けるというストーリーだった。この番組の冒頭で「正しかるべき正義も時にはめしいることがある」との印象的なナレーションが入る。そのバックにこの像が映し出された。「テミス像」というギリシャ神話の女神で法と正義をを司るため、裁判所や法曹関係の建物の入り口に飾れていることが多い。
  で、何故ここに登場したかいうと、昼食後の徘徊時に遭遇したからだ。溜池から新橋に至る外堀通りの1本裏通りにある虎の門法曹ビルにだいぶ前から置かれていて、どこかで見た像だなあと思いつつやり過ごしていた。先日久しぶりに前を通り、像の右手に掲げられた秤を見たとたん、突如「逃亡者」の記憶が蘇り、モヤモヤしていた霧が一気に晴れた。
  

大崎徘徊

2012年 09月23日 01:00 (日)

       大崎あ
       大崎い
       大崎う
       大崎え
  現在29あるJR山手線の駅の中で、ふと見過ごしてしまいそうな最もマイナーな駅はどこかと自問してみた。東京環状線は渋谷、新宿、池袋、上野、有楽町と一大繁華街が控えるBIGSTATIONが連なり、その間の駅もそれなりの規模を持つ商店街を抱えマイナーなイメージを持つ駅などないのではと思えた。それではということで、路線図を見ながら各駅の様子を指でたどりつつ思い浮かべてみた。
  渋谷を出発点として恵比寿、目黒、五反田、次が大崎ときて指が止まった。大崎に繁華街があったっけ、デパートがあったっけ。何もないのである。実は大崎にはかつていとこが住んでいて、小学生であった昭和30年代、正月に何度か遊びに行った記憶がある。その当時から駅前にはお店もなく、明電舎の大きな工場があるだけで大変寂しい駅前であった。
  その大崎がいつごろからか東京副都心の一つとして再開発が行われ、山手線を挟んで東口にはゲートシティー、ニューシティーというオフィスと店舗の複合施設が建設され、巨大なビル群が出現した。一方の東口は明電舎の本社も入るシンクパークタワーなる高層オフィスビルやソニーシティー大崎のガラス張りのビルが線路沿いに聳え立っている。ビルの中にはそこそこ人がいるのだろうが、土曜日だったこともあって通行人はほとんどなく、再開発後も駅周辺の目に見える部分はマイナーなイメージが強い。
  最近では山手線以外に東京臨海高速鉄道りんかい線や埼京線・湘南新宿ラインが走り交通の利便性は格段に良くなっている。だがしかし、地下鉄の乗り入れはない。やはり、マイナーな駅なのか。  

ダン・ニマーって

2012年 09月22日 01:00 (土)

                ニマー
  ダン・ニマーの名前を見たとき、当初イタリア人のピアニストかと思った-という経緯があったにせよ、8月から9月にかけてニマーのCDを連続して聴いた。①「Modern Day Blues」、②「Tea For Two」、③「Kelly Blue」の3枚。これを聴くまでニマーなどというピアニストは全く知らず、ピアノトリオ選択の際の自ら規定した「スタンダードが全体の二分の一以上入っていること」とする条件をクリヤーしたので、特に大きな期待もせずに聴いてみた。
  ①を聴いての感想は「ボリューム感、スイング感にあふれた抜群のピアにトリオ」で、さらに「近年まれに見る」の一言も加えたいほど充実した演奏で、年甲斐もなく興奮してしまった。CD屋にはピアノトリオ盤がゴマンと積まれているが、その多くはJAZZ風ではあってもJAZZの演奏には程遠いものがほとんど。特に最近目立つヨーロッパ系のピアノは最悪。ピアノを鳴らすテクニックはあってもスイング感はゼロに近く、とても聴いてはいられない。だがニマーのピアノはあくまでも正統なJAZZのイディオムを踏まえながら快調に突っ走る。スピード感が彼の一つのウリなのかもしれない。
  ①の「ブルー ボッサ」は奇をてらわず自然体で好感が持てる。バラードの「慕情」はピアノ音の良さを前面に出し、途中からテンポが上がると信奉したというWynton Kelly風のフレーズが随所に顔を出し、6分半を飽きさせない。名曲「クレオパトラ」はテーマから一気にアドリブに入り、アッという間に弾き切る。自作の「モダンデイ ブルース」は音を少しずつ編み込んでいくような緻密な演奏で、賑やかなブルースに仕上げている。
  ②のタイトル曲では曲の解釈が見事で、率直な表現が原曲の良さを引き出している。「ノー プロブレム」ではこちらが「こう弾いてほしい」と思う通りの演奏を披露してくれ、実力のほどが感じられる。③の「ケリーブルー」にはマイルスの「ノー ブルース」が入っているが、なんとなんとドラムスはケリーのかつての片腕であったジミー・コブが参加しており、日本のJAZZマーケットを意識したプロデューサーのビジネス感覚も感じられる。タイトル曲はケリー盤からフルート(ボビー・ジャスパー)が抜けただけの原曲に近い演奏。枯葉もケリーの名演奏を髣髴とさせる質の高いパフォーマンスに徹している。
  テナー界ではエリック・アレキサンダー、ハリー・アーレンという個性は異なるがJAZZの伝統をしっかり受け継いだ2人がすでに中堅からベテランの域に達し、両者とも猛烈な勢いでCDを量産している。ピアノにはこの2人に匹敵するだけの人材がなかなか出現しなかったが、遅まきながら”新星現る”の時代が到来した。であるから、
とにかく頑張ってほしいと願うしかない。

出版社のPR誌

2012年 09月21日 01:00 (金)

          図書
  本屋のレジには数種の出版社のPR誌が置かれていて、自由にもらえるようになっている。気が小さいので、いただくのは一応購入した時のみと自分で決めている。買わないでももらえると思うのだが、書店員に切り出す勇気がないまま今日に至っている。岩波書店の「図書」もそんなPR誌の1種で、このたび最新版2012年9月号を入手した。思えば読書熱に侵されはじめた中学生時代にはじめてもらった覚えがある。そうだとするとこれは相当古いPR誌ではないかと思えてきた。
  調べてみると創刊は戦前も戦前の1938年(昭和13年)8月で、年表を繰るとこの年は外国ではヒトラーが統帥権を握り、国内では国家総動員法が公布され南京傀儡政権が成立していて、おまけに東京オリンピックが中止になったりしている。つまり軍の力が徐々に強まり、戦争に向け一歩一歩歩調を強めて行った時代ということになる。PR誌といえども内容的には読み物ありルポあり対談ありで、どうみても小型雑誌に近い。図書自身も「大勢の知的好奇心にあふれる読者に半世紀以上愛されてきた読書家の雑誌」といている。同業他社のPR誌の創刊年を見てみると、図書に次いで古いのは有斐閣の「書斎の窓」が1953年、次が集英社の「青春と読書」と新潮社の「波」が1967年で、このあと講談社の「本」が1967年と続く。
  9月号の「図書」の10月発刊予定を見ると森まゆみ・藤森照信の「東京たてもの伝説」が入っており、今から発売が待たれる。
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