05月 « 2018年06月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  » 07月

スポンサーサイト

--年 --月--日 --:-- (--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ベニー ウォーレス with 山下洋輔

2012年 12月08日 01:45 (土)

           山下
 
  今年の秋、山下洋輔が勲章をもらった。洋輔に勲章だなんて全く似合わない組み合わせだ。などということはひとまず置いといて、テナーのベニー・ウォーレスとの共演盤を聴いたので、その報告。その昔、JAZZを格闘技に見立て“肘打ちピアノ”を武器に中村誠一、森山猛男とのバイオレンス・トリオで多くの伝説を残した洋輔だが、このCDは一皮も二皮も剥けた別人のようで、洋輔にしてはフツーに近い演奏に終始する。録音は86年で26年前の演奏になるわけだが、その時点で既に肘打ちは止めていたのだろうか。
  典型的なのが2曲目の「マイアイデアル」。ウォーレスのテナーがしっとりゆったりと旋律を奏で、ピアノが実にリリカルに絡んでいく。他にフレーズが思いつかないので、ありきたりではあるがこの1曲を「大人のJAZZ」と総括しておく。良いJAZZであることの一つの基準は、聞いているうちにボリュームをどんどん上げたくなること。3曲目の「スイングしなけりゃ~」がまさにそれ。当方のスピーカー能力も考えずアンプのダイアルを右に回す。テナーが強烈なソロを展開する中、洋輔も自由に間奏を入れていく。曲名に応えるかのように素晴らしくスイングする。
  6曲目はブリリアントコーナーズ。言わずと知れたモンクノ名曲。異端視されることが多いモンクだが、よく聞けばJAZZのイディオムをしっかり踏襲しているのが分かる。ここでもテナーが快調に飛ばし、ピアノが的確にくさびを打ち込む。高音がキンキンするが耐えられる範囲だ。後半は洋輔のモンク風プレイのオンパレード。これを聴くと、かつての洋輔のピアノはモンクに原点があったのではと思えてならない。何の気なしに聴いた1枚がこれほどの内容を持つのであれば、今まで見過ごしていたプレーヤーやCDに目を向け、宝物を発掘したくなってきた。
スポンサーサイト

VEE JAYから始まったエディー・ヒギンズ

2012年 11月05日 10:35 (月)

          ヒギンズ
  
  世の中で大きな仕事を成し遂げる人物は、様々な事由により人生の前半で陽の目を見る人と、晩年に脚光を浴びる人の2種類あるようだ。JAZZの世界で後者にあたる典型は最近ではエディー・ヒギエンズに止めをさすのではないか。ヒギンズの名を最初に聞いたのはVEE JAY盤。ヒギンズが若きビジネスマン風の雰囲気でピアノ越しに微笑みを浮かべてこちらを見ているあのLPだ。いささかJAZZに相応しくないジャケットだったが、演奏はピカイチ。録音は1960年で、7曲中トリオが4曲、テナーとトランペットが加わったクインテットが3曲と少々異色の構成。
  トランペットは後にも先にもこの1枚でしか名前を聞いたことがないポール・セラーノ。テナーはベイシーの片腕フランク・フォスター。この2人が絶妙のノリを見せグループをヒートアップしていく。セラーノの積極的なラッパに対し悠揚迫らぬ構えで演奏するフォスターのテナーとの絡みが鮮やか。リーダーは確かにピアノのヒギンズだが、どちらかと言えば優雅なピアノトリオ盤と言うよりハードバップの傑作盤としての印象が強かった。ヒギンズはシングルトーンの素直な演奏に徹し、バラードでは後年を思わせるリリカルな面も披露しているものの、ヴィーナスでの今日の活躍を予想させるもではなかった。
  VEE JAYでのヒギンズはリー・モーガンやウエイン・ショーターのバックも務めている。本題からそれるが当時のVEE JAYはウイントン・ケリーの最高傑作と評判の高い「アットミッドナイト」を含む3枚をリリースしており、加えて愛聴する隠れ名盤ウォルター・パーキンスの「MJT+3」の2枚もカタログ上で輝いている。
  VEE JAY後のヒギンズはアトランティックで2枚のリーダー盤を出したとのことだが、現在まで耳にしたことはない。このままであれば「そう言えば昔ヒギンズというピアニストがいたーなー」で終わっていただろう。ところがである。VEE JAY盤から37年後の1997年、日本レーベルのヴィーナスレコードから全く突然トリオ盤「見せられし心」が出た。これが空前の大ヒットにつながった。以後出るは出るはトリオは勿論、ピアノソロ、ウイッズストリングスなど趣向を変えつつ毎年2枚前後の作品を発表し続け、スコット・ハミルトンらのサックス人との共演盤も発表した。結果、何とヴィナースのカタログ上では36枚ものヒギンズ名義のCDが載ることとなった。

ダン・ニマーって

2012年 09月22日 01:00 (土)

                ニマー
  ダン・ニマーの名前を見たとき、当初イタリア人のピアニストかと思った-という経緯があったにせよ、8月から9月にかけてニマーのCDを連続して聴いた。①「Modern Day Blues」、②「Tea For Two」、③「Kelly Blue」の3枚。これを聴くまでニマーなどというピアニストは全く知らず、ピアノトリオ選択の際の自ら規定した「スタンダードが全体の二分の一以上入っていること」とする条件をクリヤーしたので、特に大きな期待もせずに聴いてみた。
  ①を聴いての感想は「ボリューム感、スイング感にあふれた抜群のピアにトリオ」で、さらに「近年まれに見る」の一言も加えたいほど充実した演奏で、年甲斐もなく興奮してしまった。CD屋にはピアノトリオ盤がゴマンと積まれているが、その多くはJAZZ風ではあってもJAZZの演奏には程遠いものがほとんど。特に最近目立つヨーロッパ系のピアノは最悪。ピアノを鳴らすテクニックはあってもスイング感はゼロに近く、とても聴いてはいられない。だがニマーのピアノはあくまでも正統なJAZZのイディオムを踏まえながら快調に突っ走る。スピード感が彼の一つのウリなのかもしれない。
  ①の「ブルー ボッサ」は奇をてらわず自然体で好感が持てる。バラードの「慕情」はピアノ音の良さを前面に出し、途中からテンポが上がると信奉したというWynton Kelly風のフレーズが随所に顔を出し、6分半を飽きさせない。名曲「クレオパトラ」はテーマから一気にアドリブに入り、アッという間に弾き切る。自作の「モダンデイ ブルース」は音を少しずつ編み込んでいくような緻密な演奏で、賑やかなブルースに仕上げている。
  ②のタイトル曲では曲の解釈が見事で、率直な表現が原曲の良さを引き出している。「ノー プロブレム」ではこちらが「こう弾いてほしい」と思う通りの演奏を披露してくれ、実力のほどが感じられる。③の「ケリーブルー」にはマイルスの「ノー ブルース」が入っているが、なんとなんとドラムスはケリーのかつての片腕であったジミー・コブが参加しており、日本のJAZZマーケットを意識したプロデューサーのビジネス感覚も感じられる。タイトル曲はケリー盤からフルート(ボビー・ジャスパー)が抜けただけの原曲に近い演奏。枯葉もケリーの名演奏を髣髴とさせる質の高いパフォーマンスに徹している。
  テナー界ではエリック・アレキサンダー、ハリー・アーレンという個性は異なるがJAZZの伝統をしっかり受け継いだ2人がすでに中堅からベテランの域に達し、両者とも猛烈な勢いでCDを量産している。ピアノにはこの2人に匹敵するだけの人材がなかなか出現しなかったが、遅まきながら”新星現る”の時代が到来した。であるから、
とにかく頑張ってほしいと願うしかない。

マイルス・デーヴィスの復活

2012年 09月16日 01:00 (日)

       マイルス
       マイルスあ
       マイルスい
      
  マイルス・デービスが復活した。といってもコマーシャルの世界でだが。たまたま東京メトロ・赤坂見付駅で見かけた缶コーヒーのポスターに”出演”していた。帝王と呼ばれ、コルトレーンと並んでJAZZ界を引っ張ってきた不世出のジャズマンだ。勿論個人のトランペッターとしての才能も素晴らしかったが、能力のある新進気鋭の若手プレーヤーを自分のバンドに迎え入れ、彼らからの刺激によって自らの音楽性も高めてきた。コルトレーンだってマイルススクールに籍を置いていた。
  演奏活動は約50年とかなり長く、自己名義のLPを50枚以上残しているのではないか。その中で1枚と言われれば躊躇なくバグスグルーブをあげたい。いわゆるプレステッジの「クリスマスセッション」と呼ばれるLP。セロニアス・モンクが参加していて、マイルスが自分のバックで弾くなと言ったとか言わなかったとかいう伝説が残っていて「けんかセッション」の異名もある。ここではマイルスのラッパが絶妙のソロをとったあと、モンクが素晴らしいタイミングと勢いでプレイに参加してくる。この迫力は何度聞いてもカンドーもので、ここだけを聞きたくて針をおろすこともある。このあと「マラソンセッション」の”ING”4部作が続き、このシリーズでは迫力漲るはウォーキンが凄い。交通信号のジャケットも印象的でプレスティッジレーベル全体の代表作とも言えよう。
  コロンビア時代はカインド・オブ・ブルーとマイルストーンの2枚につきる。特にカインド~はスタンダード、オリジナルとも選曲が良く、Jazzのスマートな部分が前面に出た傑作で、一般的にはこちらがマイルスの最高作になるのかもしれない。これ以降、一方的な評価で恐縮だが、悪名高いエレキマイルスに変身する。その最たるものが1969年のビッチェス・ブリューだろう。エレキ化はイン・ザ・スカイから始まっていたが、ビッチェスで頂点に近づきそのあとはJAZZファンならご承知の通りだ。賛否両論があちこちで飛び交い、JAZZ史上まれにみる論戦が続き、そして心あるファンはマイルスから離れた。
   
  

神保町JAZZ喫茶の復活

2012年 09月08日 01:00 (土)

       2アディロン
       グラウアー
       オリンパス
       アデ
       ロン
 
 神保町周辺にはかつて多くのJAZZ喫茶あり、渋谷や新宿と肩を並べていた。その筆頭といえば大木さんという名物マスターがやっていた「響」だろう。音響装置もそこそこで、学生街だったこともありいつ行っても大勢の客がいた。ただし、会話はご法度。他にも「コンボ」とか御茶ノ水駅前の迷路にあった知る人ぞ知る「ニューポート」、水道橋駅前の今を時めく村上春樹がマスターだった「スイング」、ライブ中心で現存する「NARU」があった。このうち「NARU」を除くとすべてが店をたたんでしまい、「響」は湘南鵠沼の自宅で「響庵」と改名し、日本一小さいJAZZ喫茶として復活した。
 こうしてしばらくの間「NARU」を残して神保町からJAZZの灯が消えたと思っていたら、○年に「さぼーる」の隣に突然2006年「BIGBOY」が出現、この3.4年のうちになんと10軒近い店がオープンした。これらの店は「御茶ノ水神保町JAZZSPOTGUIDE」というパンフレットに紹介されている。上の3件はそのうちこれはと思う店をピックアップしてみた。
 アディロンダックはニューヨークで長年レコード屋をやっていたマスターが開いたこだわりの店。一寸した置き物から数々の写真までN.Y.テーストがプンプンしている。ライブにも力を入れていて、ここで聞いた右近茂4はZOOT張りの見事なテナーを披露してくれた。グラウアーはリバーサイドレーベルのディスコグラフィーを制作した古庄さんの店で、店名はリバーサイドのプロデューサーにあやかったもの。ジャズオリンパス!はJBLの名器オリンパスをJBLのアンプで鳴らす。売りの赤いカレーがとても美味しく、店内はゆったりとした空間で清潔感が漂う大変居心地のいいお店。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。